第1回目支援 物資仕分け

 2011-05-05
2011日4月7日

この日は4月9日の出発に向け、12人で集まった物資の仕分けを行いました。

●集まった物資
 ノートパソコン
 プリンター
 無線LAN
 下着/靴下
 衣類(男性用・女性用・子供用)
 紙おむつ
 ティッシュペーパー、サランラップなど日用品
 飲料水
 ジュース
 ドライフルーツ
 コーヒー、紅茶
 その他

段ボールの中身が一目でわかるように、食料は赤、日用品は黄色などと段ボールを封するテープの色を分けました。


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第1回目支援 支援物資輸送1日目

 2011-05-07
2011年4月9日 車4台5名体制

深夜東京から出発し、まずは盛岡にある東北地方太平洋沖地震被災地支援チーム「SAVE IWATE」の事務所へ向かいました。元 盛岡市消防団本部第2分団の建物、通称 旧番屋というところ、古い町並みが残っている一角にありました。米内光政と原敬の墓所がすぐ近くにあります。
じつは、この古い町並みを残そうと活動している市民がこのチームのメンバーになっているそうです。

「SAVE IWATE」へは事務用品、パソコン4台、プリンター4台、日用品、下着、靴下、飲料水、ドライフルーツなどを納入しました。

物資輸送車
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「SAVE IWATE」
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「SAVE IWATE」事務所
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納入した物資の一部
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「SAVE IWATE」の方と
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「SAVE IWATE」事務所内
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この物資の山から支援物資の仕分けがいかに大変かということをご理解いただけますでしょうか。少ない人数で、毎日戦争のように仕分け運搬に追われている現地のボランティアの事をもう少し我が身になって考える必要があります。スムーズな支援を考えていかなければならないことを認識させられました。

(編集 米田智子)

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第1回目支援 支援物資輸送2日目

 2011-05-08
2011年4月10日 3人体制

きょうは、予定変更して陸前高田と大船渡に回りました。宮古、山田町は、自衛隊が入っていて大丈夫と聞いたので、変更しました。
きょうは車中泊でネットだめで写真はありません。きょうは寒くないです。それに八甲田冬山装備そのまま積んでるので、マイナス20℃でも大丈夫!

大船渡。街に入った途端に、ウッと息を飲んだ。瓦礫の山が延々と続く。建物が壊れているというレベルではなくてペシャンコに全部潰れている。はるか遠くまで残骸だけの山だ。

なんだこれは!

そうだこれは映画で見た絨毯爆撃された廃墟の街だ。三人とも声が出なかった。胸が締め付けられる激しい衝撃を受けた。大船渡駅が跡形もない。ほんとになにもないからわからなかったのだ。線路だけがあって、屋根らしきものがひっくり返ってあらぬところにころがっていた。近付いてきた地元のおばさんに聞かされてはじめて駅舎の跡だと知った。

陸前高田。なんと。もっとひどかった。

異臭が漂う残骸だけの街!

涙が流れる。言葉が出なかった。どうしようもない脱力感。

この次は写真をのせます。覚悟してください。みんなが見なければならない。

支援物質はしっかり届けました。
全部潰れてしまった市役所の仮庁舎が高台にプレハブで作られていて、そこの支援物質受付所に納品しました。自らも被災者である役所の方は大変喜んでくれました。
小城車と沼田車の積載分すべてをおろしました。彼ら二人はきょうで任務終了です。お疲れ様でした。僕はまだこれから届けて歩きます。

帰り道、露店で焼きそばを売っていたので僕らはそれを昼食にしました。四人の気仙沼の漁師。
「船はどうでしたか?」と聞いた。「全部なくしました」という。僕は車に戻って、ダンボール一つ持ってきてそれを渡した。「ラーメン入ってます。もらってくれませんか?」「えっ、いいんですか?」「ええ是非」。4人は、立ち上って礼をしてくれました。僕はもう一度車にもどりました。米を一袋、「これも」と言って置いてきました。日焼けした精悍な漁師の顔がくしゃくしゃになって、、たまりませんでした。

東京と仙台へ帰る二人と別れてからもう一度、大船渡にもどりました。ぞっとする廃墟の街を一人で歩きたかったから。しばらく歩いて、片付けをしている家族風の三人がいたので聞いてみた。「水はいま出るんですか?」
女の人「まだ出ないんですよ。給水です」
「じゃ、水もらってください」と言って僕は車に走った。24本の水をかかえてもどった。それを差し出して、また僕は走った。まだ米が一袋残っていた。それをかついでまたもどる。「これももらってください。」「がんばってください」、、女の人は、うるうるしていたので、僕は一礼して車にもどった。車を走らせると今度はお父さんらしき人が手を降って走ってきた。名前を聞かせてくださいという。そんなのいいと言ってもどうしても聞かないので名刺をあげた。僕は青森生まれで帰る途中で寄っただけです、仲間に声かけたらみんな集めてくれたんです、と話した。お父さんは、下を向いたまま、サンマでも穫れたら送ります、って。たまらない。東北人は堪らないよ。

きょうはバーボン、ストレートで飲んで寝ます。

(文責 岩木登)


陸前高田
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避難所の様子
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大船渡

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気仙沼の焼きそば屋さん
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第1回目支援 支援物資輸送3日目

 2011-05-08
2011年4月11日 

3日目は岩木氏が一人大槌町へ向かいました。

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この見渡す限りの瓦礫の山の下にまだ多くの遺体が埋っていることを、立ちこめる堪えられない異臭が知らせてくれた。

震災直後ではなく1ヶ月後の状況です。

この町だけで、588人死亡、1000人以上行方不明。
ご冥福をお祈りします。


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第1回目支援 報告会

 2011-05-08
2011年4月14日

この日は第1回目物資輸送の報告会が恵比寿ガリバースタジオで行われました。

三日間で撮られた写真がすべてスライドショーに映し出され、写真をもとに現地の状況や物資納入について説明がありました。

参加したメンバーは真剣な眼差しで画面を見つめます。質問や雑談を交えながら、第2回目の支援に向けて次はこうした方が良いなどの意見を出し合いました。

ちなみにTSTSTで行われているミーティングはいつも自由参加です。


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