第2回目支援5 大船渡で初の炊き出し
2011-05-13
初めての「支援物資輸送&炊き出し」その52011年5月2日~5月3日
【活動DATA】
PM 22:00 5月2日夜、出発
AM 8:53 5月3日朝、岩手大船渡市市役所着
11:00 大船渡市役所にて、炊き出し
(カレー120食、ナン170枚、
お汁粉30杯、コーヒー提供 50杯以上)
PM 13:00 終了後、明日の炊き出しの打ち合わせで
先遣隊は大船渡中学校、陸前高田市、カメリアホールなどへ
17:00 末崎地区の小学校にて、炊き出し
( お汁粉100杯、 コーヒー提供 1.5Kg)
この日は長いようで、あっという間の1日でした。
5月2日(月)の夜21時、先日仕分けを行ったスタジオに
集合したメンバーは、最後の物資を積み込み、4台の車に分乗。
22時前後に「じゃあ、明日現地で!」と、さみだれ式に出発しました。
tが乗せていただいた車は順調に進んで、
9時前に、集合場所である大船渡市役所に一番乗り。
ここで、先遣隊としてひと足早く現地入りしていた
岩木さん、沼田さんの車と合流しました。
今回のTSTSTの目的は、100名以下の中小規模避難所を訪問して
支援物資の手渡しとドリンクサービスを実施、
被災者の方々と対話をしたり、絵本の読み聞かせや
ハンドマッサージ、個人宅で被災中の方への物資手渡しなど。
大枠は決まっているのですが、細かいきまりは、ありません。
岩木さんの「厳密な意味で言えば、僕らは決してひとつにはなれないし、
なる必要もない。思いがそれぞれ違うし、温度差もあるわけだから
別個に立って共に撃てばいい。全体として流れだけがひとつになる、
そういうスタンスでいきましょう」という言葉が脳裏をよぎります。
いわば素人ボランティア集団であるTSTSTの、初の炊き出しは
大船渡市市役所にて行われました。
気づくと皆、それぞれ自分のすべき仕事を見つけて、動いています。
私は次々に訪れる人々にどんどん声がけして、炊き出しへ誘導する係を始めました。
提供したのはコーヒーにクッキー、カレーにお汁粉、そしてナン。
思いのほか人が集まり、「ここにはいつも古着を探しにきているけど、
炊き出しが行われたのは今日が初めて!」と笑顔のおじいちゃん。
「みんな流されちゃって、残ったのは私ひとり」と、寂しそうなおばあちゃん。
とにかく人がたくさん集まってくださって、メンバーのテンションも、軽く上昇。
10時40分ごろから慌ただしく準備を始めて、終了したのは12時30分ごろでした。
実は、事前のFacebook会議で
「コーヒーとナンは、お年寄りに喜ばれるのか?」問題が
何度となく、議論されていたのですが
いざフタをあけてみると、両方とも大好評。
ちょっぴりの非日常感が、被災中の方々の気持ちに
うまくマッチできたのかもしれません。
そして午後、撤収&反省会をする炊き出しチームを残して
先遣隊の沼田さんとともに、明日の炊き出しの打ち合わせで
陸前高田市へ行くことになり、tも記録班として同行しました。
車窓から見える風景が、ある瞬間から一転しました。
まるで東京大空襲後の焼け野原から
残っている建物を全部無くしてしまったような、
道路と、人々の生活の残骸だけの世界が
果てなく延々と広がっていました。
心ふさぐ風景の中を走り抜け、
炊き出しをさせていただく候補の公民館に到着すると
そこにもまた、厳しい現実が待っていました。
おかげさまですでに物資は充実しており、
また自力で自立の道を目指しているところなので、
炊き出しも物資も必要ない、とのこと。
先遣隊の沼田さんが、代表の方の娘さんと
何度も事前にやりとりをしているのですが
集落をまとめる代表の方のお考えとは、温度差があったようでした。
ひとくちに支援といっても
単に物資や食糧を提供すればよい、
というものでは、ない。
そんなことは、わかっていたけど、でもじゃあ
ボランティアが今できることって、いったい…。
帰り道、ふと外に目をやると
ガチャガチャにひしゃげた車たちが
キラキラと午後の日差しを受けて
静かに並んでいるのが見えました。
そして夜、今日2回めの炊き出しを、
末崎地区の小学校にて決行。
すでに夕食が用意されているので
ここでTSTSTに求められたのは、
食後のコーヒーと、そしてお汁粉の提供。
みなさんの食後に一度にお出しできるよう
コーヒー沸かし隊とお汁粉隊が奮闘します。
私は体育館で食事をしている方々用に
お盆にのせたコーヒーをこぼさないよう、おっかなびっくり運びました。
市議会委員をされていたメンバーの松本さんが
代表として体育館内で紹介され、挨拶を求められた様子で
コーヒーを届けにいくといっせいに拍手の渦。
ここはアウェーではないようでした。
あいまをみて、ハンドマッサージをさせていただこうと
とあるおばあちゃんに話しかけると
「私は強いから、大丈夫。心配しなくていいから」と
顔をくしゃくしゃにして、ニッと笑ってみせました。
喜んでもらって、うれしい。
しかし、壁を感じる瞬間。
また、いい笑顔を見せてもらった。
でも、これでいいのか。本当に?
そんなこんなで、手さぐりだった1日目も無事終了。
夜は、明日への鋭気を養おうと
宿泊所近くのジンギスカン屋で
遠野のおいしいお肉をいただきました。
Report by Mayumi Tanihata
Photo by Toru Konishi/Rika Takei







カテゴリ :第2回目の支援
トラックバック(-)
コメント(-)
タグ :
第2回目支援6 個人宅訪問&炊き出し
2011-05-13
初めての「支援物資輸送&炊き出し」その62011年5月4日
【活動DATA】
AM 9:00 支援物資手渡しのため、個人宅訪問班は
車で大船渡、末崎町、墓石海岸周辺へ。
炊き出し班は仕込み開始。
11:30 二班合流して、大船渡中学校にて、炊き出し
(カレー120食、ナン150枚、コーヒー提供 1Kg)
PM 13:00 再度、訪問班は大船渡の個人宅へ、物資お届け活動。
炊き出し班は撤収&仕込み準備など
18:00 二班合流して、カメリアホールにて、最後の炊き出し
(カレー80食、ナン100枚、お汁粉80杯、コーヒー提供 1Kg)
2日目は、個人宅訪問班と炊き出し班の二手に分かれて
それぞれの活動をスタートしました。
炊き出し班が仕込みをしている間に
物資を積めるだけ積み込んだ車3台で
まずは、人が集まりそうなお寺を検索、
「本増寺」にうかがいます。
実は昨日、復興ライブイベントが行われたばかりというこのお寺、
今後も人々が訪れるだろうということで、女性用の下着や水、
女子用衛生アイテムセットなどを置かせていただきました。
次は大船渡の、半壊の家が立ち並ぶゾーンへ。
岩木隊長を先頭に、人が住んでいそうな家をみんなで捜索。
修理中の家をのぞいてみると、おばあちゃんの姿が!
男性用と女性用の下着にパンツ数本、スープセットなどを受け取ってくれ
岩木さんやメンバーとうれしそうに話す様子に、心和みます。
移動しながらふと、気づいたのですが
この町には信号がみあたりません。
正確には、機械はあるのですが、電気が付かない。
それでも事故ひとつなく、車はスムーズに走行しています。
末崎町の個人宅は、目の前がすぐ海でした。
家から少し坂を登った、椿の木まで津波が来たそうですが
ご家族みなさんご無事だったようで、ほっとしました。
「これから、このあたりも復興して
様子もどんどん変わっていくと思いますので、
ぜひ、また来てくださいね」と、まだ話し足りなそうなおばあさん。
今日は「また来てね」と言われる回数が、多い日です。
また、か。いつ、また来られるんだろう。
と、思いにふける間もなく、もうすぐ炊き出しの時間。
慌てて合流して、またも炊き出し誘導を担当します。
昨日は建物の通路や外で調理をしましたが
今日は体育館の中での調理。
お湯を沸かしたり、ナンを延々と焼く、
裏方作業がメインの炊き出しチームも
被災者の方々と向き合いながら作業ができます。
こちらでも、カレーやナン、コーヒーは好評でした。
ほんとに、みんなで心配していたので
すごくうれしい。
ひと段落して、tは被災中のご家族4人の
マッサージをさせていただきました。
tは少しだけ手相の心得があったので
打ちとけたころを見計らって
「おじいちゃんは、ちょっと散財線があるかも」
と伝えたら、みなさん「うそ、当たってる!」と大爆笑。
ご本人は「だーから金、たまんねえんだよなあ」
おくさまには「今日は散財線の話しがいちばん楽しかった」
と、マッサージよりも喜んでいただけたみたいです。
そして午後は、再び二班に分かれてそれぞれの活動をこなし
夜はカメリアホールで合流して、最後の炊き出しです。
今回は、先方でもおかず1品、みそ汁などをご用意くださり、
カレーやナン、お汁粉、コーヒーは
それにまぜていただく形です。
炊き出しチームは厨房にこもり、
tやコーヒー沸かし隊は、いつものように前線に。
このとき、自ら被災しながら、毎日給仕のボランティアをしている男性と
少しだけ、おしゃべりしました。
その方は陸前高田で被災されたのですが、食品加工工場が崩壊し
ものすごく大量の冷凍さんまがあたり一面に放出されたので
「これが腐ったら大変だ!」と
震災3日後に、素人が掘れるだけの深さの穴をつくって
みんなでそこに埋めたのだ、と話してくれました。
「ほら、このあたりにきても、何か臭うでしょ。
なんか、たまんないんだよね」
強く同意するわけにもゆかず、あいまいにうなづきながら
魚の腐敗臭に重油が混ざり混んだような、重い臭いを思い出していました。
自分担当の話題が多くなって、恐縮ですが
最後に、やはり被災しながら食器洗いのボランティアをされている
3人の仲良しグループの女性たちに、ハンドマッサージをさせていただきました。
訪問班&対話係の菊池さんが
「マッサージを受けたいって人がいるんだけど!」
と、連れてきてくださったので、
菊池さんはお話、tはマッサージに専念する、即席ユニットを結成。
みなさんが菊池さんと楽しそうにおしゃべりするのを耳にしながら
こちらも気持ちよく、押させていただきました。
なんか、むしろ私が癒された。
カサカサが気になったので、最後にハンドクリームを塗ってさしあげたら
「あら、ピカピカ。久しぶりに女性の手になった!」
と、手をかざして喜んでいただけたので、
ちょっと泣きそうになりました。
そしてこの日の夜は、炊き出しチーム隊長、矢野さんと
今回の活動について、押させていただきながら
少しお話しできたことも、よかったです。
tも気になっていた、
同じチームメイトでも直接、お礼を聞けるという「ごほうび」があるチームと
ひたすら裏方で汗を流す、なかば自己満足的な内的報酬でよしとするチームと。
途中から、なるべく被災者の方のリアクションを
炊き出しチームに伝えるよう、心がけていたのですが
やはり気になる。
矢野さんは、「それでいいと思っているし、私は今回の活動に、すごく満足している」と
太っ腹で豪快な様子で語ってくださり、
こちらの気持ちを軽くしてくださいました。
いろんなことを思いながらの2日目が終了。
夜は全員で、ちょっとだけ打ち上げ気分を味わいたく
またもジンギスカン屋で、この2日間の疲れを発散しました。
Report by Mayumi Tanihata
Photo by Rika Takei/Toru Konishi









カテゴリ :第2回目の支援
トラックバック(-)
コメント(-)
タグ :
第2回目支援7 SAVE IWATEへお届け
2011-05-13
初めての「支援物資輸送&炊き出し」その72011年5月5日
【活動DATA】
朝、宿泊先にてなりゆき解散
AM10:00すぎ SAVE IWATEへ物資を運び込んで、活動終了!
PM21:00すぎ 都内着
長いようで短かった、TSTSTの第2回支援活動も無事終了。
最終日の朝は、それぞれの車ごとに、さみだれ式に現地解散です。
次々出発する車の前で、2泊4日間一緒に活動したメンバーと
記念写真を撮りながら、朝のすがすがしい空気を感じていました。
tが乗せていただく車は、活動の締めとして
SAVE IWATEさんへ、物資のお届けにゆき、任務完了です。
PCとプリンター、ツボ押しの本や耳せん、子供の本など
さまざまな物資を運びこみます。
フルマークスさんから提供いただいた春夏もののパンツ、300数本も
無事おさめさせていただきました。
さあ、あとは東京に戻るだけです。
帰りの車中では、よくできなかったいろいろな失敗や、自分の小ささ
いたらなさが次々と浮かんできました。
さらに、肌で感じた避難エリアごとの現状の格差。
目にしてしまった、人々の悲しみや思い出が積み上がってできたような
陸前高田、大船渡の、悲しい光景。
あたりに漂う、かいだことがない、気持ちを沈ませる臭気や、ホコリくささ。
でも、少しだけ、
自分なりの小さな達成感もあったりして。
何か役に立ちたくて東京から押しかけた私たちこそ、
被災地の方々に力をもらったのではないか、とも思えました。
マッサージをさせていただいたとき、
ぎゅっ、と握ったときの厚ぼったい手の平からも
東北の人たちの芯から優しい力強さを
しっかりと受け止めた気がします。
いろいろと割り切れない気持ちと、ある程度の達成感。
被災者の方の、今の気持ちを察する想像力と、
思いを行動に移すときのデリカシーの大切さ。
今回の活動は、参加者の私たちひとりひとりに
とても重たい何かをさずけてくれました。
その答えをどう出していくかは、これから。
それぞれのやり方で、答えを出していく。
それこそが、TSTSTの今回の活動の成果だと思われます。
Report by Mayumi Tanihata
Photo by Rika Takei





カテゴリ :第2回目の支援
トラックバック(-)
コメント(-)
タグ :
第2回目支援 参加メンバーのコメント
2011-05-18
2011年5月4日私たちはボランティアのプロではありません。
何か少しでも、被災地の方の力になりたくて
岩木登さんのもとに集まりました。
3月の震災から約2か月後に現地入りし、
活動を終えた5月4日の夜、今回参加したメンバーに
それぞれの参加のきっかけや
活動を終えての気持ちを聞いてみました。
小城崇史(写真家・東京/動画記録、個人宅訪問班)
地震が起きたとき、“震度いくつ、震源はこのあたり”というところまではすぐに
イメージできました。しかしそのあと、いったいどんなことが起きるのかまでは、
まったく想像できなかった。徐々に明らかになっていった被災地の現状は、本当に
想像を絶するひどいものでした。
そして3月下旬、知人の手伝いで宮城県亘理町に支援物資を運び、今回の震災が
「未だかつてない規模のもの」であることをはっきり認識しました。それでもこの
時点では、心のどこかで「いつか終わる」という甘い考えがありました。震災が起
きた。微力だけど何かした。それでいいじゃないかという、どこか他人任せな甘え
でした。青森県で取材中に被災した、写真家の大先輩である岩木さんから「東北を
支援しよう」というメールをいただいたときも、最初「それってたぶん、時間が解
決する問題じゃないですか。でもクルマ出すくらいだったら手伝いますよ」という、
今思うと随分と間抜けなお返事を書きました。
第1回の支援物資輸送に参加して、実際に岩手県沿岸部の被災地に足を踏み入れ
てみたら、そんな生易しいものではなかった。3万人の方々が亡くなり、10何万人
の方々が避難を余儀なくされている。これってもう、地域紛争レベルの出来事です。
今、自分の国で起きていることに対して、目をつぶって何もしないってことはあり
えない。自分に今できることは何なのか、正解なんかどこにもないであろうその答
えを求めて、この活動に参加しています。
菊池くらげ(写真家・東京/現地情報収集、対話係、個人宅訪問班)
岩手県出身なので、自分にも何かできないだろうか、という気持ちで参加しまし
た。見慣れた風景が震災や津波被害でどんどん変わっていくさまをテレビで見て、
なんにもできない自分がはがゆくて、悔しかった。でも現実はそれ以上に被害が大
きく、すごすぎて。自分には何ができるのか全然わからないし、今回来たことも、
役に立てているのかどうか、わからない。でも今後も、ほんのちょっとでも、何か
力になれるような支援を続けていきたいです。
沼田孝彦(写真家・仙台/現地情報収集、先遣隊、現場サポート)
地震発生時、旅先にいた私がやっと帰宅できたのは、震災12日後。普段生活し
ていた環境全てがひっくり返り、非日常が日常となる、まるで違う世界に変化し
ました。自分はカメラマンとして何が出来るのか? 普通の日常があるからこそ、
余剰で活躍の場がある事実に、無力さ挫折感に、憤りを感じていました。そんな
中、写真家である岩木登氏が“岩手に支援物資を持って行きたいので、協力者を求
めている”と、同じ写真家である小西徹さんから教えていただき、すぐに協力を申
し出ました。今回、賛同してくださった方々が集い、お汁粉の炊き出しやマッサ
ージ、被災した方たちとコミュニケーションを取りながら、我々も救われる思い
で学び、この気持ちを発信しよう、そう感じました。
中野理一(プログラマー・東京/コーヒー沸かし隊)
尊敬する友人、岩木の撮った大槌町の写真を見て、“これは日本人として現地を
見なくてはいけない”と思い参加しました。できることを、できる人が、できるだ
けやればいいというスタンスで、長いスパンで支えていこうと思います。
武井里香(写真家・東京都/記録、個人宅訪問班)
被災者の方々に元気を送れるような写真を集めて、巡回写真展をやってみたいと
思っていました。今回は実際に被災地を訪れ、チームに貢献できることを模索しな
がらの参加。しかし現実は、想像を越えるものがありました。被災地の方々はきっ
と、十分に理解しきれていない私たちをわかっていながら、受け入れてくれのでは。
こんなに懐の広い人たちに、今、見てもらうべき写真って…? 今は私にできるこ
とをやる、そしていつか、彼らの気持ちに寄り添えるような写真展ができればと思
っています。
矢野恵理子(食品メーカー勤務・東京/炊き出し班)
自分が現地を見て帰ってくること、次につながる方たちを一緒に連れて行くこと。
それが私の使命だと思い、多くの方々にTSTSTの活動について声がけをしました。
するとたくさんの食材が集まったので、炊き出し班を結成することに。もし、避難
中の方たちに受け入れられなければ、食材はすべて持ち帰ろう、そんな気持ちで参
加しました。ところがふたを開けたら、美味しい美味しいと食べてくださる方々に
提供することができて、心からほっとしました。何かを求めて参加したわけではな
いけれど、でも、やっぱり誰かに喜んでもらえるってこんな素敵なことなんだと、
感謝の気持ちでいっぱいです。
佐野英子(東京/炊き出し班)
知人の矢野さんからTSTSTの活動を紹介されたとき、当初は参加を迷っていまし
た。しかし、周囲のみなさんが続々と参加表明されるのを見るうち、徐々に気持ち
が変わって、自分にも何かできることがあるかもしれない、と思えるように。能動
的ではなかったので、あまり積極的に動けていなかったと思うのですが、とても有
意義な経験でした。
須崎こう(西多摩郡/炊き出し班、読み聞かせ)
これまで、なかなか被災地ボランティアに参加することができなかったのですが、
岩木さんと知り合いだったことがきっかけで、今回の支援活動に参加できたことを
とても感謝しております。ふだん、子どもに読み聞かせをしておりますので、実際
の現地の子どもたちの様子を自分の目で見て、感じ、それらを、東京から支援物資
を送っている友人、知人たちに伝えられれば、と思っていました。今後もこのチー
ムの中で、何か役立つことを、自分なりにやっていければと思います。
松本 寛道(市議会議員・柏/炊き出し班)
私は柏に住んでいます。千葉県の柏市では大きな被害はありませんでしたが、そ
れでも震災直後、市民は水やガソリンが入手できなくなるなど、大きな不安を抱え
ました。行政も混乱しました。しかし柏のおそらく数千倍、数万倍の被害を受けた
被災地では、行政はどんな対応をしているのだろうか。そして、私たち市民レベル
ならではの支援があるのではと思い、今回参加をいたしました。
やはり、現地の方たちは本当に大変な状況で頑張っていらして、そこにカレーと
ナン、お汁粉とコーヒー等を届けられたことがうれしかったです。最後は手を振っ
て見送ってくださり、逆にこちらが感謝しています。
加藤恵美子(東京/コーヒー沸かし隊)
私は、ボランティアや支援活動をするようなタイプじゃないし、自分が行ったと
して、どれぐらいのことができるんだろう、と思っていました。でも、岩木さんが
「ふだん、被災地支援なんか絶対に行かないようなやつが、現地へ行って衝撃を受
け、価値観が崩れるようなことが必要だ」とおっしゃるので、じゃあ、私も行って
みようと。行って見てみないと何もわからないし、何もできなかったとしても、感
じてみようと。「それでいいんだよ」って言われて、みんなと協力しあってやって
みたら、とても勉強になりました。現地の方のあたたかい心に触れ、痛みに触れ、
東北の古い歴史にも触れて…これまで東北とはまったく関係なく生きてきた私と、
東北の歴史と、今と、いろいろなことが重なり合ってドッと押し寄せきて。今はま
だ少し、パニクっているところです。
土川俊樹(銀行勤務・東京/炊き出し班)
今回、陸前高田での炊き出しの打ち合わせに同行してみて、ただ物資を運んで炊
き出しを行うのではない、新しく復興の道を見つけることにつなげる支援というの
は、非常に難しいということをつくづく感じました。また、このチームの活動内容
を振り返ってみても、ボランティアといっても、単に行くだけではダメなんだとい
うことも、よくわかりました。今回は受け入れてくれた避難所が多かったという意
味で、成功だと思いますが、こういった支援が積み重なっていくことが大切なのだ
と思います。機会があったら、今度は子供たちも連れて行きたいと思います。
谷畑まゆみ(編集者・松戸/活動記録、個人宅訪問班)
この2月、自分にとって大きな存在だった方が急逝し、衝撃を受けました。そし
て3月11日、初めて、もしかして自分も死ぬかもしれないと思いました。揺れも
涙も止まったときに残ったのは「今、自分にできる何かをしたい」という感情。
引き寄せられるように活動に参加していました。
避難所では炊き出しの誘導と簡単なマッサージ、個人宅への物資お届けなどを担
当しました。日々、さまざまな葛藤もありましたが、ぽってりと厚みがあって温か
かい、岩手の方たちの手に触れているうち、胸の中が温かいものでうまってゆくよ
うな感じがしました。これからどんどん変わってゆくであろう被災地や人々から今
後も目を離さず、しっかり見つめ続けていきたいです。
小西 徹(写真家・東京/記録、支援物資管理、個人宅訪問班)
震災から3日後、連日壮絶な被害状況が報道され、それを見ながら“もう明日死ぬ
かもしれない、明日生きてたら全財産を募金して、ボランティア活動を始めよう”と
思いました。阪神淡路のときはなにもできなかったし、ちょうど人生の折り返し地点
にきて、自分の人生これでいいのか、という気持ちもありました。しかし、いざ支援
しようとしても何をすればいいかわからない。募金する、自分で募金箱を持って立つ、
ブログで呼びかける等してみては、本当にすべき支援はこれなのか、自問自答の連続
でした。そんな中、ブログを見て岩木さんに、何か自分にもお手伝いをさせてくださ
い、と飛び込んだのです。
総括的な話しをすれば、今回の2回めの支援を行い、現地の方と触れ合えて、よか
ったんじゃないかなと思います。でもその反面、みな感じていたと思うのですが、
「これぐらいでいいのかどうか」という迷い。それをもういっぺん、気にしないとだ
めなのかなあと。現地入りする前に、東京で“こんなニーズがあるだろう、これは喜ば
れるんじゃないか”、とあれこれ議論しましたが、事態はもっと深刻なんじゃないか。
自分たちがやってきたことと、現地のニーズでは、実はすごくギャップが大きいんじ
ゃないかという気づき。まだまったく手つかずで、ご遺体を捜索しているような状況
の街へ行くのに、“コーヒー飲みますか”とか“いや、それはお汁粉のほうがいい”など
と議論をするのではなく。
東京にいながらの支援というのは、このように、やっぱり少し限界があると思うん
です。でも、TSTSTの活動の場では、そういった迷いも、みんなで一緒に考えて行け
たらと思っています。自分も何かしたいけど、どうしたらいいのかわからない。そん
なふうに苦しんでいる人たちにとって、多少なりとも“駆け込み寺”のような存在にな
れれば。ともに活動してゆきましょう。
かもしれない、明日生きてたら全財産を募金して、ボランティア活動を始めよう”と
思いました。阪神淡路のときはなにもできなかったし、ちょうど人生の折り返し地点
にきて、自分の人生これでいいのか、という気持ちもありました。しかし、いざ支援
しようとしても何をすればいいかわからない。募金する、自分で募金箱を持って立つ、
ブログで呼びかける等してみては、本当にすべき支援はこれなのか、自問自答の連続
でした。そんな中、ブログを見て岩木さんに、何か自分にもお手伝いをさせてくださ
い、と飛び込んだのです。
総括的な話しをすれば、今回の2回めの支援を行い、現地の方と触れ合えて、よか
ったんじゃないかなと思います。でもその反面、みな感じていたと思うのですが、
「これぐらいでいいのかどうか」という迷い。それをもういっぺん、気にしないとだ
めなのかなあと。現地入りする前に、東京で“こんなニーズがあるだろう、これは喜ば
れるんじゃないか”、とあれこれ議論しましたが、事態はもっと深刻なんじゃないか。
自分たちがやってきたことと、現地のニーズでは、実はすごくギャップが大きいんじ
ゃないかという気づき。まだまったく手つかずで、ご遺体を捜索しているような状況
の街へ行くのに、“コーヒー飲みますか”とか“いや、それはお汁粉のほうがいい”など
と議論をするのではなく。
東京にいながらの支援というのは、このように、やっぱり少し限界があると思うん
です。でも、TSTSTの活動の場では、そういった迷いも、みんなで一緒に考えて行け
たらと思っています。自分も何かしたいけど、どうしたらいいのかわからない。そん
なふうに苦しんでいる人たちにとって、多少なりとも“駆け込み寺”のような存在にな
れれば。ともに活動してゆきましょう。
Text by Mayumi Tanihata
Photo by Toru Konishi






カテゴリ :第2回目の支援
トラックバック(-)
コメント(-)
タグ :
第2回目支援 Special Thanks
2011-05-19
2011年5月18日ご協力いただいた企業の皆様
TSTST 第2回支援活動にご協力いただいた企業です。
今回の支援は、たくさんの方々のご協力により実現しました。
お忙しい中、急なお願いにも関わらず
あたたかいご協力を賜り、本当にありがとうございました。

有限会社パックハマヨシ
炊き出し用容器をご提供いただきました
http://hamayoshi.ocnk.net/

FULLMARKS Inc.
春夏ものの衣料をご提供いただきました
http://www.full-marks.com/

北前そば 高田屋
炊き出しの手順、衛生面のアドバイスをいただきました
http://www.takada-ya.co.jp

Healing Room
nest
マッサージのアドバイスをいただきました
http://www.healing-room.net/
Text by Mayumi Tanihata
カテゴリ :第2回目の支援
トラックバック(-)
コメント(-)
タグ :