第5回目支援 支援物資輸送 その1

 2011-07-04
第3回(6.3~6.5)の輸送で大船渡市の状況が変わりつつあることを体感しながらも、
がれき撤去や、市街地の復興が遅々として進まない様子を目の当たりにして
「これから先、支援といってもなにをどうすればいいのだろう?」と軽く悩んでいたときに、
宮古市の避難所に対する衣装ケース+食材支援が第4回輸送として実施され
「私たちが見落としているものがまだまだある」ことに気付かされました。

そんな中、6月14日(火)夕方、所属するJPS(公益社団法人日本写真家協会)から全会員に向け
「東日本大震災に関するお願い」というタイトルで一斉メールが配信されました。
内容を読むと
「被災した写真スタジオに、富士フイルムのピクトログラフィープリンタのサプライを送りたい」
とのこと。もっとも依頼者のディテールがはっきりとは書かれていなかったため、
情報提供者にメールを送ったところから、今回のプランニングはスタートしたように思います。


サプライではなく、プリンタ本体の輸送手段が問題だった

情報提供者のJPS会員Kさんに連絡を取ると、問題はサプライではなく、他の所にありました。
曰く「プリンタはあるが、宅配業者に頼むと高額な見積もりの上『精密機械だから責任は持てない』
と言われた」そうです。
実はこのピクトログラフィープリンタというものは、私たちの業界では既に殆ど退役した機材で、
これについて詳しい知識を持った人(そして会社)がなくなっていることも、
Kさんに二の足を踏ませる要因になっていました。
依頼者も、そのことで悩んでおられる様子が電話越しに理解できました。
そこでKさんにTSTSTの活動を説明し、岩手県沿岸部での支援活動実績があること、
6月から災害派遣等従事車両の指定を受けているため高速道路を無料通行していること、
チーム内に大型機材の運搬に適したクルマもあることなどをご説明したところ
「では是非現地に持っていってください」となったのです。
極めて内輪の話になりますが、6月1日に発行されたJPSニュース
(月一回発行でJPS全会員に配布される情報誌)
に、TSTSTの活動が紹介されたことも、Kさんから信頼を得るきっかけになったかもしれません。


第5回輸送のプランニング

6月3~5日の第3回輸送以降、復興が進むにつれ現地ニーズが細分化したり、
それに伴い物資の輸送方法や提供手段が変化することも肌で感じてはいましたが、
TSTSTの活動の中でそれが顕在化したのが6月10~11日に実施した、
岩手県宮古市の避難所に対する第4回輸送でした。

この輸送で小西さんがコンタクト+ヒヤリングした、宮古市の避難所に対する
二回目の支援物資輸送は早々に決まっていましたが、これとは全く別に、
中野理一さんがキャッチした
「被災学生に対する支援」
というメニューも早急に取り組む必要があるという状況が見えており、
これにピクトログラフィープリンタの輸送というメニューが加わり
「ミニマムの人員・車両で短期間の支援輸送」
というコンセプトは14日夜の時点で固まりました。

現状従事車両証明書の申請をするにあたり、役所窓口の担当者を納得させる
材料を揃えるのに苦労するケースも多いと聞きますが、
TSTSTとしての過去実績に加えて今回も支援先が三箇所あるという事実は、
申請にあたって有効な材料になったことは言うまでもありません。
今回は私(小城)が輸送責任者ということで、地元である港区役所の防災課に
申請手続きを行ったのですが、以前申請方法等についてアドバイスをいただいたりした経緯もあり、
15日午前中に申請に行ったところ、必要書類は5分で発行されました。
誤算だったのは、プリンタのサイズが分からなかったため当初小西さんの
事務所のクルマ(ワンボックスカー)をお借りする予定で書類申請したのですが、
出発前日になって私のボログルマでも積めることがわかり、慌てて申請をし直したこと。
でもその再申請も同じように5分で手続きしていただきました。


提供者の事務所からピクトログラフィープリンタを小西さんと共に運び出します
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意外に小さいことがわかり、私のボログルマに積み替えたところ
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Text&Photo by Takafumi kojo





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第5回目支援 支援物資輸送 その2

 2011-07-04
出発前日まで続いた現地とのコンタクト、そして準備

整理すると、第5回輸送のテーマは以下の三つということになります。
 1. 宮古市の避難所に対する食糧および物資(パソコン)支援
 2. 岩手県立大学の被災学生に対する物資(パソコン)支援
 3. 大船渡市の写真スタジオに対する物資(プリンタ)支援


1. については、前週現地入りした小西さんから引き継いだ内容なので、
現地の方とのコンタクトが取れれば話は順調に進むと当初考えていたのですが、
メールでやり取りをすると、わずか三日で状況が一変しており、
現地ニーズが変わっていることが判明しました。
急遽TSTSTのfacebookグループ(TSTSTメンバー専用のfacebook内のコミュニティ)
で呼びかけたところ、田中宏幸さんから全量の物資提供があり、
物資のミスマッチを防ぐことが出来ました。
迅速に行動してくださった田中さん本当にありがとうございます。



1. と2.のテーマとなるパソコンですが、これは現地の方がSOSを発信するための
ツールとしてパソコンが必要なことから、TSTSTのメンバーを中心に様々な方面に
提供を呼びかけたのですが、企業ユースのパソコンはリユースプログラムが比較的整っていること、
コンプライアンスの観点から、以前ほど中古パソコンが簡単に出てこなくなったこともあり、
当初希望していた台数を揃えることはできませんでした。
しかしなんとかミニマムの台数(宮古市2、岩手県立大学1)を揃えることはできました。
岩手県立大学の担当者様とのコミュニケーションは全て中野さんにお任せでした。



3.のプリンタですが、出発前日の16日午後に情報提供者のKさんと落ち合い、
小西さん、Mさんに手伝っていただきプリンタ本体を引き取りました。
実はこのときまで誰ひとりプリンタの正確なサイズを知らず
(私自身も世代が違うため、現像所にある大型機械を想像していた)、
実寸法を測ったところ私のクルマでも行けるということがわかり、
閉庁間際の港区役所に駆け込んで従事車両証明書の再申請を行うというドタバタもありました。
小西さんの事務所で1.と3.の積み込みを終えたのは前日の夕方7時。
もっとも積み込み慣れしたせいか?過去3回とは違い、
運転席から後方視界が確保できたのは今回が初めて。
時間の経過と共に支援の形も変わりつつあることを実感した瞬間でした。
プリンタの輸送先は、私たちTSTSTが通い、慣れ親しんだ大船渡市にありました。
16日の昼、Kさんから伺った携帯番号に電話したところ、電話に出られたのは若い声の男性でした。
私たちがTSTSTとして何回か大船渡市に通っていること、
記憶の中にある地理関係から「ここですか?」と伺ったところズバリの場所だったことから、
打合せはスムーズに進みました。あとは無事、お届けするだけです。




今回お世話になった皆さん。
真ん中が情報提供者のKさん、その右隣がKさんの長年のお友達で今回プリンタをご提供いただいたSさん

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Text&Photo by Takafumi kojo



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第5回目支援 支援物資輸送 その3

 2011-07-06
乗るたび道が良くなる東北道

出発は17日(金)の6:00AM。首都高の朝ラッシュを避けるために早めのスタートを選びました。
途中事故や渋滞もなく、スムーズに北上を続けお昼過ぎには北上江釣子ICに到着。
IC近くで給油+昼食を取ってから、一路大船渡を目指します。
私自身は地震後五回目となる東北道ですが、回数を重ねるごとに道路状態が
よくなっていることを実感します。
一車線規制で片側ずつ工事している箇所も数カ所ありましたが、
三月・四月に見られた大きな段差は殆どなくなっていました。
もっとも高速のICから沿岸部の距離は変わりません。
国道107号線をひた走り、大船渡市内に入ったのは15時過ぎ。
従事車両証明書の帰り分を申請するため先に県の合同庁舎に行って手続きをお願いしてから、
今日の目的地である大船渡の写真スタジオに向かいました。



わずか10mで分かれた明暗

大船渡スタジオは、佐藤尚義さんと奥様、そして息子の尚之さんが
大船渡駅近くで営む写真スタジオでした。
地震直後、尚義さんと奥様で積めるだけの機材をクルマに積み込み、
国道45号線沿いにある高台にある自宅に避難したのですが、
店内のパソコン・サーバー・プリンタなどは持ち出すことができず、全て津波にのまれたと言います。
そのご自宅も、ほんの10m先から崖下になっていて、崖下には津波にのまれた
あの光景が今もかわらず広がっていました。
国道45号線もこの区間は未だに電気が通っておらず信号が点かないため、
佐藤さんの家のすぐそばにある茶屋前交差点には、今も他県から応援に来ている警察官が立ち、
手信号でクルマを捌いているのです。
16時過ぎに到着した私たちは、あいさつもそこそこにプリンタをクルマから引きずり出し、
仮営業所となった佐藤家の居間にプリンタを設置しました。
合同庁舎に戻るまでの間、佐藤さんご夫妻、そしてSOSを発信した尚之さんから、
地震直後の様子、海水を被ってダメになった機材などを見せていただきながら
いろいろなお話を伺いました。
「生活全般の再建までを考えると、今のような厳しい状況が三年くらいは続くと思う」
という尚義さんの言葉には、その地に暮らす人ならではの重みがありました。
「大船渡は魚がおいしいから、また取れるようになったら送りますよ!」と奥様。「
いや、食べに来ます!」と答えましたが、その日が一日でも早く来ることを願ってやみません。




17日(金)、佐野SAにて。交替で現地を目指す自衛隊の災害派遣車
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大船渡スタジオ・佐藤尚義さんのご自宅前から見た大船渡市街
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水没した機材の一部。裏蓋を開けようとトライしましたが、無理でした。
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津波に襲われボロボロになった大船渡スタジオ
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プリンタの設置を終えて記念写真。左から中野さん、佐藤尚之さん、佐藤尚義さん
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第5回目支援 支援物資輸送 その4

 2011-07-06
「簡単なこと」が「簡単でない」現実

写真という共通項もあり、話が尽きない大船渡スタジオ仮営業所を後ろ髪引かれる思いで後にし、
合同庁舎で書類を受け取ってからは中野さんの提案で、盛駅近くにある坂本食堂に向かいました。
営業再開に向けて準備を進めているおかあさんに近況を伺ったところ
「カメリアホールへの炊き出しは、避難している人達の自立も考え、
ホールの方とも相談した結果6月4日を最後に行っていない」とのこと。
ここでも現地の状況が変わりつつあることを実感しました。
帰り際「何か困っていることないですか?」と伺ったところ「
2階から冷蔵庫を降ろしたいのだけれど、人手がなくて」と聞き、
おとうさん、中野さんと私の三人で2階から1階に冷蔵庫を降ろしました。
普通の家庭用冷蔵庫だったので、人手さえあればそんなに難しい作業ではないのですが、
おとうさんとおかあさん二人だけではどうしようもなく、
かといって近所の人に頼むのもどうやら遠慮していたようで、とても喜んでいただきました。
もっともこのような話はここに限らず、現地の至る所にあるはず。
それをうまくお手伝いできるといいのですが。




大船渡から宮古へ

今回は中野さんと二人ということもあり、宿泊先は決めず、移動も臨機応変ということで、
大船渡から宮古への移動は17日夜、国道45号線と三陸自動車道の無料開放部分を走りながら北上しました。
釜石市・大槌町・山田町は夜間通過となったのですが、それでも静まりかえった大槌町の市街地は、
月明かりに照らされてその無残な姿をさらしていました。
「昼間移動すると渋滞するようだから、移動を夜にしよう」と中野さんに提案したのは私でしたが、
後から考えると「これ以上、悲惨な状況を見たくない」という気持ちも働いたのかもしれません。
宮古市に到着したのは日付が変わる直前でした。日立浜町の波打ち際に行くと、宮古湾を照らす月がとてもきれいで、今まで見てきた光景をしばし忘れさせてくれました。



坂本食堂の入口に貼られていたPOP
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2階から1階へ冷蔵庫を降ろした後の記念写真。
おとうさん・おかあさん共に嬉しそう。

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第5回目支援 支援物資輸送 その5

 2011-07-09
田老で見た現実

翌朝、避難所を訪れる前に田老地区の様子も見てきました。
万里の長城とも呼ばれる総延長2.5km、高さ10mの防潮堤を要しながらも、
津波は防潮堤を越えて街を襲い、大きな被害をもたらした地域です。
既に三ヶ月が経過していることもあり、残っていたのは解体を免れた建物だけで、
かつての街の様子をしのぶことすらできない状況です。
水門を通って海側に出ると、そこにあるはずの建物はなく、
残っていたのは破壊され尽くした防潮堤の残骸でした。




田老の堤防上から。
左が海、右が市街地ですが、津波はこの堤防を乗り越えて街に襲いかかりました。

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田老地区。がれきの撤去が終わり、解体を免れた建物だけが残っています。
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田老地区。破壊された堤防の残骸がいまも水路に浮かんでいます。
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田老地区。X字型に配置された堤防の交点上から見た様子。
右に延びていくはずの堤防がなくなっています。

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上の写真の位置から見た海側の様子。
水面に見えるのは流された堤防の残骸です。

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三陸鉄道宮古駅に貼られていた、意外な方からのメッセージ
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6月18日午前0時、宮古湾で見た満月。
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Text&Photo by Takafumi kojo

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