第4回目支援 衣装ケースを届けてきました その2

 2011-06-28

当初、衣装ケースだけだったのですが「何か他に要るものありますか」と聞いたところ
野菜汁を作るので日持ちする根菜が欲しいという事
だったら、ということで出発時間を遅らせてスーパーで買い物して行きました。

避難所では毎日毎食近くのスーパーからお弁当が届きます。
パッと見ただけだとそこそこ美味しそう。ですが毎食こういう揚げ物弁当。
避難所には大勢の老人が居るのに。この弁当の匂いを嗅ぐだけで吐き気を催す人もいるそうです

そこでご自身も被災されたという避難所の自治会のリーダー的な方が
みそ汁やけんちん汁を作って振る舞っておられるのです
避難所内の一角にカセットコンロを設置して、一人一袋のみそ汁を大量に鍋に入れてみそ汁を作ります。
面倒だけどこれしか無いのです。
本当に少量で申し訳なかったのですが、これで数日間は避難所で生活されてる方も
「弁当以外の何か」も食べることが出来たと思います。


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最近よく「支援のカタチも変わってきている」「違う局面に差し掛かってる」という台詞を耳にします。
確かに状況は日々違ってきています。
ですが被災地で、被災者の方々は3ヶ月で何か変わったのでしょうか。
変わったのは支援する側の人間の都合や気持ちだと僕は思います。
自分のところで支援物資を取りまとめていますが数は大きく減少してしまいました。
「物資による支援」をやろうにも出来ない状況です。
被災地では芸能人の炊き出しも来なくなりました。

「トイレットペーパーが足りません」「食料が足りません」という状況は何も変わっていないのに。
空腹のおなかは相変わらず満たされていないのに。
被災地の皆さんの心は3月11日からポッカリと穴が開いたままです。
何も満たされてはいないのです。
支援は何の成果も出していないのに等しいと言える状況です。
こちら(支援する側)が勝手に立ち止まって考え事や議論してても仕方ない。
まだその時期に達していないと思います。

仮設への入居は自立に向けての大きな一歩ですが、ほとんどの方は住む家を失い全財産を失い、
仕事も失ったのです。
今は出来るだけ支出を少なくして、新しいスタートを切る準備に備えなくてはなりません。
なので物資による支援はまだまだ続けて行こうと思います。

まだ3ヶ月しか経っていません。
大通りに面したところでは津波の爪痕もほとんど残されてはいません。
ですが少し中に入るとほとんど手つかずの状態のままです。


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何とか東北の人を支えたい」「出来る事は何だってやるよ」「これは長期戦になる」
3ヶ月前に自分は東京でどう思ったか。どういう気持ちだったか。

宮古市街地で震災3ヶ月の黙祷のサイレンを聞きながら改めて考えさせられました。


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Text&Photo by Toru Konishi


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