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第1回目支援 支援物資輸送2日目

 2011-05-08
2011年4月10日 3人体制

きょうは、予定変更して陸前高田と大船渡に回りました。宮古、山田町は、自衛隊が入っていて大丈夫と聞いたので、変更しました。
きょうは車中泊でネットだめで写真はありません。きょうは寒くないです。それに八甲田冬山装備そのまま積んでるので、マイナス20℃でも大丈夫!

大船渡。街に入った途端に、ウッと息を飲んだ。瓦礫の山が延々と続く。建物が壊れているというレベルではなくてペシャンコに全部潰れている。はるか遠くまで残骸だけの山だ。

なんだこれは!

そうだこれは映画で見た絨毯爆撃された廃墟の街だ。三人とも声が出なかった。胸が締め付けられる激しい衝撃を受けた。大船渡駅が跡形もない。ほんとになにもないからわからなかったのだ。線路だけがあって、屋根らしきものがひっくり返ってあらぬところにころがっていた。近付いてきた地元のおばさんに聞かされてはじめて駅舎の跡だと知った。

陸前高田。なんと。もっとひどかった。

異臭が漂う残骸だけの街!

涙が流れる。言葉が出なかった。どうしようもない脱力感。

この次は写真をのせます。覚悟してください。みんなが見なければならない。

支援物質はしっかり届けました。
全部潰れてしまった市役所の仮庁舎が高台にプレハブで作られていて、そこの支援物質受付所に納品しました。自らも被災者である役所の方は大変喜んでくれました。
小城車と沼田車の積載分すべてをおろしました。彼ら二人はきょうで任務終了です。お疲れ様でした。僕はまだこれから届けて歩きます。

帰り道、露店で焼きそばを売っていたので僕らはそれを昼食にしました。四人の気仙沼の漁師。
「船はどうでしたか?」と聞いた。「全部なくしました」という。僕は車に戻って、ダンボール一つ持ってきてそれを渡した。「ラーメン入ってます。もらってくれませんか?」「えっ、いいんですか?」「ええ是非」。4人は、立ち上って礼をしてくれました。僕はもう一度車にもどりました。米を一袋、「これも」と言って置いてきました。日焼けした精悍な漁師の顔がくしゃくしゃになって、、たまりませんでした。

東京と仙台へ帰る二人と別れてからもう一度、大船渡にもどりました。ぞっとする廃墟の街を一人で歩きたかったから。しばらく歩いて、片付けをしている家族風の三人がいたので聞いてみた。「水はいま出るんですか?」
女の人「まだ出ないんですよ。給水です」
「じゃ、水もらってください」と言って僕は車に走った。24本の水をかかえてもどった。それを差し出して、また僕は走った。まだ米が一袋残っていた。それをかついでまたもどる。「これももらってください。」「がんばってください」、、女の人は、うるうるしていたので、僕は一礼して車にもどった。車を走らせると今度はお父さんらしき人が手を降って走ってきた。名前を聞かせてくださいという。そんなのいいと言ってもどうしても聞かないので名刺をあげた。僕は青森生まれで帰る途中で寄っただけです、仲間に声かけたらみんな集めてくれたんです、と話した。お父さんは、下を向いたまま、サンマでも穫れたら送ります、って。たまらない。東北人は堪らないよ。

きょうはバーボン、ストレートで飲んで寝ます。

(文責 岩木登)


陸前高田
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避難所の様子
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大船渡

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気仙沼の焼きそば屋さん
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