第5回目支援 支援物資輸送 その3

 2011-07-06
乗るたび道が良くなる東北道

出発は17日(金)の6:00AM。首都高の朝ラッシュを避けるために早めのスタートを選びました。
途中事故や渋滞もなく、スムーズに北上を続けお昼過ぎには北上江釣子ICに到着。
IC近くで給油+昼食を取ってから、一路大船渡を目指します。
私自身は地震後五回目となる東北道ですが、回数を重ねるごとに道路状態が
よくなっていることを実感します。
一車線規制で片側ずつ工事している箇所も数カ所ありましたが、
三月・四月に見られた大きな段差は殆どなくなっていました。
もっとも高速のICから沿岸部の距離は変わりません。
国道107号線をひた走り、大船渡市内に入ったのは15時過ぎ。
従事車両証明書の帰り分を申請するため先に県の合同庁舎に行って手続きをお願いしてから、
今日の目的地である大船渡の写真スタジオに向かいました。



わずか10mで分かれた明暗

大船渡スタジオは、佐藤尚義さんと奥様、そして息子の尚之さんが
大船渡駅近くで営む写真スタジオでした。
地震直後、尚義さんと奥様で積めるだけの機材をクルマに積み込み、
国道45号線沿いにある高台にある自宅に避難したのですが、
店内のパソコン・サーバー・プリンタなどは持ち出すことができず、全て津波にのまれたと言います。
そのご自宅も、ほんの10m先から崖下になっていて、崖下には津波にのまれた
あの光景が今もかわらず広がっていました。
国道45号線もこの区間は未だに電気が通っておらず信号が点かないため、
佐藤さんの家のすぐそばにある茶屋前交差点には、今も他県から応援に来ている警察官が立ち、
手信号でクルマを捌いているのです。
16時過ぎに到着した私たちは、あいさつもそこそこにプリンタをクルマから引きずり出し、
仮営業所となった佐藤家の居間にプリンタを設置しました。
合同庁舎に戻るまでの間、佐藤さんご夫妻、そしてSOSを発信した尚之さんから、
地震直後の様子、海水を被ってダメになった機材などを見せていただきながら
いろいろなお話を伺いました。
「生活全般の再建までを考えると、今のような厳しい状況が三年くらいは続くと思う」
という尚義さんの言葉には、その地に暮らす人ならではの重みがありました。
「大船渡は魚がおいしいから、また取れるようになったら送りますよ!」と奥様。「
いや、食べに来ます!」と答えましたが、その日が一日でも早く来ることを願ってやみません。




17日(金)、佐野SAにて。交替で現地を目指す自衛隊の災害派遣車
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大船渡スタジオ・佐藤尚義さんのご自宅前から見た大船渡市街
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水没した機材の一部。裏蓋を開けようとトライしましたが、無理でした。
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津波に襲われボロボロになった大船渡スタジオ
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プリンタの設置を終えて記念写真。左から中野さん、佐藤尚之さん、佐藤尚義さん
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Text&Photo by Takafumi kojo


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